【第4回】伊能忠敬と法隆寺【百人百話】

伊能忠敬と法隆寺

伊能忠敬が測量の旅で法隆寺を訪問したのは文化5年(1808)12月1日、その時、寺から拝領し江戸に持ち帰った法隆寺伽藍絵図と霊宝目録が何故か佐原の柏木家に残された。(現物は国立歴史民俗博物館へ寄託)
この絵図等の検証のため、私は度々法隆寺との交渉を持った。

法隆寺伽藍絵図(西院部分拡大)

法隆寺史(中)近世編の刊行

伊能忠敬が法隆寺でどのような接待を受けたのかを私は知りたかった。
測量日記では、日本最古の木造建造物の大伽藍を前にしても忠敬の寺院の説明が短文で淡白であったから。

そして、今版の法隆寺史の刊行によりその疑問が解けた。

法隆寺の日記に相当する「年会日次記」では測量隊一行のその日の行動が記録されていた。
午後2時頃、一行は西大門から寺に入り舎利殿にて18種の宝物を、三経苑に於いては7種の秘蔵の宝物を一覧した。
聖皇院では特別に開帳された聖徳太子像を拝覧した。また、その折に絵図、宝物目録を受領し、接待役から宝物類の説明を受けた。
午後4時頃に一行は諸事相済み、寺内から退出した。

年会日次記では、忠敬一行は寺奉行や公儀巡見使と同等の幕府要人として処遇されたと記されている。

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